
カトリック日光巡礼教会
(パドヴァの聖アントニオ教会)
観光地の質素な教会に光る"信徒の宝もの"
古文書がくれた共同墓地
1950(昭和25)年7月にロメオ・コルミエ神父が、現教会に隣接する民家の2階を借りて、数人の近隣在住信徒と共に初ミサを挙げ、日光の地で宣教の第一歩を踏み出した。また教会と幼稚園の建築工事に着工し、12月10は内野作蔵教区長を迎えて献堂式が行われている。その年の降誕祭では、日光教会として初の洗礼式が行われた。1960年からロメオ師は今市・日光両教会の任司祭として司牧に当たった。
64年4月、ジョージ・アンリークルティ神父が主任司祭に就任。司祭館と教会ホールの新築、幼稚園舎の増築が行われた。69年4月に松山季満神父が就任したが、体調を崩してカシアノ神父に代わり、翌70年4月には再びロメオ師が主任に。75年4月、山内利男神父が第6代主任司祭として着任した。80年、聖堂内壁や屋根の損傷が甚だしいため全面改修を行う。
81(昭和56)年―9月、日光聖公会で発見された古文書から「日光のキリスト教会のための墓地が確保されている」ことが判明した。墓地はカトリック教会、聖公会、新生教会の3教会に等分され、翌82年にはカトリックの持ち分を今市教会と合同墓地とすることが決まって整備を行い、8月の完工を待って祝別式が行われた。
86年日光教会敷地内に聖母マリア像「日光の聖母」が建立された。88年4月、山内神父は松が峰教会に転任となり、小池如安神父が第7代主任司祭として今市教会と併任で再就任。96年4月に小池神父が峰修道院院長に転任した後、バルトメオ・マクマホン神父が第8代主任司祭として着任する。
97年7月、岡田武夫司教が日光教会を司牧訪問。埼玉、宇都宮などの方々や今市教会の信徒と合同でハイキング、ミサ、分かち合いを行った。
2000(平成12)年―第3千年紀へ橋を渡すこの年は「聖年」となり、日光教会が教区の巡礼教会に指定された。12月10日、日光教会は献堂50周年を迎えた。記念の司教ミサが行われ、記念誌を発行した。
01年12月、第1回の「クリスマス音楽会」を開催。以後09年まで毎年、地元小学校や宇都宮音楽集団(吹奏楽団)などの協力を得て開催され、市民に親しまれた。02年には文集 『虹』を発行。聖堂屋根の修繕と聖堂横の立木伐採整理を行ったのもこの年だ。
03(平成15)年 ―3月、市内の各宗教団体に呼び掛け、日本聖公会の日光真光教会を会場に、今市教会や日光山輪王寺ほか諸宗教、宗派の信者と市民の参加を得て「平和を祈る祈祷集会を催した。
04(平成16)年 ― 4月、バルトロメオ神父は大田原教会に転出、中嶋義晃新司祭が就任。鹿沼・今市・日光の3教会を藤田、川上、ロランド、中嶋の各師が受け持つ協働宣教司牧が始まった。またこの年、文集 『杉並木』創刊号を今市教会と合同で発行した。
2006年4月には前年転出した中嶋神父に代わり金子尚志神父が日光・今市両教会担当司祭として着任、8月には今市に定住して両教会を司牧した。
07年4月、今市教会と合同の文集 『杉並木』第2号が発行される。この年、聖堂入り口横に掲示板を設置した。08年5月には日光真光教会で合同ミサが行われた。
聖堂を彩るオルガンの音色と大油彩画
02年の修繕工事後も10年には聖堂屋根の塗装工事を行うなど、教会施設の維持・保全に向けた小教区信徒の努力は続いている。その聖堂を訪れる訪問者の中には、オルガンと油彩画に目を止める人が少なくない。いずれも、日光教会の信徒にとっては胸を張ることのできる逸品である。
オルガンは、フランシスコ会からのプレゼント。東京の六本木フランシスカン・チャペルセンターで使われていた小型オルガンを、同会の厚意で11年8月に移設し、日光教会のミサと祈りに使えるよう祝別された。1969年ドイツWelker社製で、演奏家カール・リヒター(Karl Richter)が日本での演奏会に使用したもの。ミサや典礼を彩るその音色は格別美しく、信徒らを祈りに誘っている。
また、聖堂正面には「最期の晩餐」を描いた大きな油彩画が掛けてある。画家・牧島如鳩(まきしま・にょきゅう/本名・省三)が1958年に制作した、第29回第一美術協会展への出品作だ。牧島画伯は1892年、現在の足利市上渋垂町に生まれ1975年に83歳で死去したイコン画家。ハリスト正教会の伝教師でもあった。同画伯が描いた作品の特徴は、仏教とキリスト教を結び付けたところにあるといわれている。2008、09年足利市美術館ほかで「牧島如鳩展」が催され、この作品も展示された。
ところで、08年3月20日を期して、日光市は今市市、藤原町、足尾町、栗山村と合併し、新しく「日光市」となった。栃木県の4分の1を占める新市の面積(1449.87平方KM)は、全国でも3番目の広さである。今後の日光教会は、合同ミサの定期的実施をはじめ、宣教司牧上の課題についても、今市教会と協働して歩み続けたいと願っている。(記・桑原信夫)